塩谷哲プロフィール

(CDやネット上の資料、塩谷哲氏のこれまでの発言などを元に正確を期して書いていますが、もし事実と異なる記述があればご容赦願います。ご指摘くだされば幸いです。また、一部管理人の主観が混じってしまっているかもしれません。敬称略をお許しください)

塩谷哲(しおのやさとる)

愛称:SALTソルト
ピアニスト、作曲家、編曲家、プロデューサー

誕生日:1966年6月8日
出身地:東京
血液型:A

塩谷哲は小さい頃から音楽に囲まれて育った。
家族でドライブ中には世界的ピアニスト:オスカー・ピーターソンの曲が流れている、そのような家庭だった。
エレクトーンやピアノを弾きこなし、14歳のとき作曲した「海溝」(A Deep)をヤマハ・ジュニアオリジナルコンサートで自らエレクトーンで演奏した。
その曲がLP「ジュニアオリジナルコンサート’80優秀作品集」に収録されている。(7分以上ある大作)

大学は東京芸術大学音楽学部作曲科に進学。
抱いていたクラシックの基礎への学習意欲と、現代音楽の授業の間にギャップを感じ、次第に新宿ピットインなどでジャズ系のセッションに参加するようになった。

そこで出会った大儀見元に誘われ、彼の主宰するサルサ・バンドであるオルケスタ・デ・ラ・ルスのピアニストとして活動を開始。
大学は正式に中退。世界をめぐる活動が認められ、デ・ラ・ルスは1993年に国連平和賞を受賞。

並行して1990年からは金子飛鳥らのポップ・ユニット「Adi」(アーディー)にも参加。
デ・ラ・ルスとは全く違うフィールドでも活躍しはじめた。
93年まで4枚のアルバムを制作。
同年には初のソロアルバム「SALT」をリリースした。

デ・ラ・ルスは1995年にはグラミー賞トロピカル・ラテン・アルバム部門にノミネートされた。
これまでにティト・プエンテ、セリア・クルーズ、サンタナなどのミュージシャンとも共演。
彼らが独自の解釈で行っていた演奏が現地の人に受け入れられたことは、大きな自信につながった。

95年には2枚目のソロアルバム「SALT II」も発売。

1996年のオルケスタ・デ・ラ・ルス活動休止に伴い脱退。

これと前後してシング・ライク・トーキングのボーカル・佐藤竹善とユニット「SALT & SUGAR」を結成。
今までオリジナルは3曲でアルバムは1枚しかリリースしていないが、毎年5月に大阪で開かれる「Cross Your Fingers」、12月に東京で開かれる「Saltish Night」がSALT & SUGARの主な活動の場となっており、現在まで続いている。
ボーカルとピアノ(時にはパーカッションやギターも加わる)というシンプルな構成で洋邦の名曲を奏でるというスタイルには、根強い人気がある。

1997年から数年間はほぼ毎年ソロアルバムをリリース。
アルバム披露ライブで共にプレイするようになった沼澤尚(Ds)、松原秀樹(B)、浅野祥之(G)、大儀見元(Perc)と「SALT BAND」を結成し、活動の拠点を置くようになった。

また、並行して1999年から3年間、Bunkamuraオーチャードホール主催のコンサートシリーズ「COOL CLASSICS」を担当、クラシックの名曲に独自の解釈を加えてアレンジして発表し高く評価された。

その後、2001年にベーシストの青木智仁の呼びかけで本田雅人(Sax)、沼澤尚(Dr)と4人の人気アーティストで結成された「FOUR of a KIND」は、ギターレスのユニットとしても注目を浴びた。
04年までの間、2枚のオリジナル・アルバムやブルーノートでのライブはとても好評で、ライブ盤もリリースされた。

2003年~05年は塩谷哲にとって大きな分岐点だったかもしれない。
03年1月には山木秀夫(ds)、吉野弘志(b)とピアノトリオとしての初のアルバムを発表。
一人のピアニストとしてピアノで何を表現するか、という追求が始まった。
3月には世界的なピアニスト・小曽根真とのピアノデュオ・コンサートが札幌コンサートホール Kitara で実現。
ピアニストとしての小曽根や、彼の音楽に対する姿勢に多大な影響を受け、学んだものは計り知れない。

その後のトリオとしてのライブや、トリオ2作目を通して、塩谷哲のピアノの表現力は着実に進化していった。
そして2005年2月には大阪ブルーノートで小曽根真と連続6日間12ステージのデュオ・ライブが行われた。
お互いを尊敬しながら兄弟のように仲がよい2人の音は同じ方向へ向かい、確かな信頼感でより自由になって、聴衆を魅了した。
塩谷哲はこの後「音楽に対して自由になった。自然でいられる」と、しばしば口にするようになった。

それを受けて翌06年から全国で精力的に開かれるようになった、塩谷1人によるソロ・ピアノ・コンサート。
客席の様子と自分のそのときの感性で次の曲目を決めて演奏するというスタイルで進められ、自由になった自然な塩谷哲、そして楽しく弾く彼を感じることができる。

2006年には田中義人をプロデューサーに迎えての新作、07年にはベースに井上陽介を迎えた新生トリオでのアルバムを発表。
それらの中でも塩谷哲の表現力、メンバーとのチームワークは充分に発揮されている。

ソロ活動開始後から現在に至るまで、SING LIKE TALKING、吉田美奈子、Lylico(露崎春女)、岩崎宏美、Misia、平井堅、古澤巌、松たか子、矢井田瞳、今井美樹など、実に多数のアーティストとアルバムやライブで共演している。
サポートしつつも、塩谷哲の音の主張をさりげなく入れられるのも、魅力の一つである。

「こんなに自然にできるようになったのは、まだまだ最近のこと。したいことはまだまだある」
と塩谷哲は言う。
これからの彼にも期待していい。

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